« 霊奉閣にて | トップページ | 宿坊の精進料理 綺麗、旨い! »

2008年7月26日 (土)

山楽荘で座学(シリーズ 大山はなぜ「だいせん」なのか?)

山楽荘で座学
大山の名前の由来、杉本先生の大胆な説は、全国をめぐるロマンと説得力のあるもの! スゴイっ!

詳しくは、本文の続きをクリック・・・
さあ、いよいよ「大山(だいせん)」の謎に迫ります!

以下は元山陰歴史館 館長で、歴史研究家の杉本良巳先生の私見を含みます。また、僕の理解度が低く(汗;)先生の伝えたい内容と誤差があるかもしれません、詳細をしっかりと知りたい方は、杉本先生の講演などをお聞きくださいませ。

■歴史のなかの絆
--伯耆大山と筑紫の大山寺--

◎九州の筑紫にある「大山寺(だいせんじ)」
国内に「大山」と書いて「おおやま」という地名は多々あれど、「だいせん」と読む地名は少ない。

◎大山寺と書いて「だいせんじ」と読む寺としては、九州の福岡県筑紫郡大宰府町大字内山にある「大山寺(だいせんじ)」があった。

この筑紫の大山寺は、元々は「竃門山寺(かまどさんじ)」といい、最澄が遣唐使として渡海する際の平安を祈るために薬師の仏像を造ったというのが初見。(扶桑略記 延暦22年 = 803年)

竃門山寺(かまどさんじ)は、竃門神社の神宮寺で、この神社の神体は宝満山(ほぼ円錐の山)

最澄の参拝経路は、宇佐八幡宮--香春神社--竃門山寺である。
これらの社寺は新羅と関係があったので、渡海の利便と指南を受けるためだったかもしれない。(辻善之助博士)

当時、竃門神社(寺)は大宰府の北東(つまり鬼門の方向)を守っていた。大宰府はもと那津(現博多)にあったが、天知2年(663年)に竃門山の南西に移った。これは、竃門山を意識したものと思われる。

★杉本先生の私見★

大宰府と竃門神社の関係は、中国の洛陽と秦山(太山 = たいざん)の関係を思わせる。竃門山寺が、「大山寺」と称号を変えた理由もそこらあたりにありはしないかと考えている。

泰山(太山)には中国の閻魔大王のような「たいざんふくん」がいて、
中国の皇帝が参っていた。
(これが後の威徳天皇の大山巡行にも関係有るのかもしれない?)

ちなみに、太山のほうが大山より上って感じらしく、
太山・・・とっても大きい山。
大山・・・ 大きい山。って感じらしい

 

◎いっぽう、伯耆大山はというと・・・

出雲風土記(天平5年 733年)に「伯耆国なる火神岳(ひのかみのたけ)」とある。
しかし、以降、火神岳は文献に現れず、突然11世紀中頃に書かれた新猿楽記に「伯耆大山」として現れる。
その後、太平記をはじめ中央の書物に「大山」が散見されるようになるが、注目すべきは「大山寺」という称号は全く出てこない。

伯耆大山が「大山寺」の称号で表記され始めるのは応永10年(1403年)の山名氏の遵行状である。

◎嘉暦2年(1327年)筑紫の大山寺が大山寺執行をした(河上神社文書)のを最後に、大山寺の称号を使わなくなった後に、はじめて伯耆大山は「大山寺」と称号するようになった。

応永5年(1398年)大山寺縁記絵巻が完成するが、絵巻の内容に竃門山寺(大山寺)の伝承に通じるものがある。

・竃門山寺 
 心蓮が山中で修行中に玉依姫が示現して造立。→豊満山の隣峰仏山頂に入寂
・伯耆大山寺
 金連が山中で修行中に山神登欖尼が示現して造立。→弥山の外輪山 寂静山に入寂

(その他の雑学)

★威徳天皇(いとくてんのう)の大山巡行
威徳天皇といえば、「神武、綏靖、安寧、威徳、孝昭、孝安、孝霊・・・」の威徳。
なぜ、威徳天皇が大山に巡行したのか?
・中国の泰山(太山)には中国皇帝が参っていた。
・日本の大山には、日本の天皇が参った・・・とも解釈できる。

★大山は「火神岳(ひのかみのたけ)」と呼ばれていた
出雲国風土記(天平5年(733年))に「伯耆国なる火神岳」と出てくる。
なお、神岳については、大神岳(訂正本)とする説もあるが、訓詁学(語の意味の研究)的に見て、「火神岳」であろう。大神山神社が火の神である、軻遇突智命(かぐつちのみこと)を祀っていることが証となる。

★このほか、岩船山高勝寺とのつながりのお話も面白かった。
地蔵菩薩縁記の弘誓坊(ぐぜいぼう)は、まず、大山に参篭。
夢告により、竃門山寺に行く。
さらに宝満太子の夢告により、下野岩船の里へ行く。
大山へ帰った後、忘れかねて再び岩船の里へ行き、高勝寺を建立した。

★京都の地蔵信仰は、大山から伝わったもの。
しかし、米子の地蔵信仰は大山とは関係ないもので、後に伝わったもの。
大山が栄えていた頃は、まだ、米子は海沿いの小さな田舎でしかなく
歴史の舞台に出るような所ではなかった。

★大山と書いて「だいせん」と読むのは、特別なことです。
全国の他の「大山」が「おおやま」であるのに対し、
伯耆大山だけが「だいせん」と称したのには歴史的な意味があります。
大切に、歴史を知り、誇りとしましょう。
(ただし、上記は杉本先生の私見です・・・とのこと。)

というようなお話でした・・・皆さん、分かりました?

|

« 霊奉閣にて | トップページ | 宿坊の精進料理 綺麗、旨い! »

コメント

大山寺(だいせん)の名前の由来は九州の大山寺にあったかもしれない。しかも大山(だいせん)は、中国の霊峰「太山」から来てるかもしれない! 仏法的な名前っていうのは聞いてたけど、これほどリアルな話しは初めて。とにかく、楽し杉本です~!

投稿: すのび~ | 2008年7月27日 (日) 00時43分

いや・・・楽しすぎ、杉本先生です~(笑)

投稿: snobuy | 2008年7月27日 (日) 22時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 霊奉閣にて | トップページ | 宿坊の精進料理 綺麗、旨い! »